秋の祭り
八幡地区の祭りは 9 月 15 日

秋の豊かな収穫を前に、神への感謝と
厳しかった労働の実りを祝います。
八幡まつり 
子ども神輿の、明るい声が近づいてきます。

早朝から、太鼓の音が遠くから聞こえ
また、近くから
移動しながら聞こえてきます。

八幡地区の青年会が、八幡神社で鬼太鼓を奉納したのち
一軒ごとに、門付けしてまわります。

朝 4 時 30 分頃、神社を出発し、夜は 11 時頃までの予定とか。


八幡のお祭りは、豆まき型と呼ばれる鬼太鼓。

登場するのは
黒面の豆まき翁 白面の翁
赤鬼 青鬼 二匹の獅子

家、家では
人にとりついた邪気を食べてくれると言われる獅子に、頭を噛んでもらい
疫病を退治し、悪魔を祓ってもらいます。

鬼や豆と呼ばれる翁の所作の意味を
古老に教えていただきました。

最後に爆竹を鳴らして終了するのは、八幡地区だけだそう。

我が家の玄関にも、地区の若者が賑やかに到着。

このお札をいただいたので
家内安全に過ごせます‥ね。

今年は
地区に伝わる、庶民の祭りや暮らしについて
伝統芸能の鬼太鼓を研究しているという
上智大学の学生が数人祭りに同行していて
いつもにも増して活気がありました。


☆。。。。。。☆。。。。。。☆

今は、自家用の果物が実る時。

これは、
友人からいただいた葡萄。
友人の畑で実った葡萄は、ずっしりと充実の一房です。

青ブドウ独特の、さわやかな香りがします。
これほど立派な葡萄が自宅にあるなんて、楽しいでしょうね。
羨ましいかぎりです(^O^)
畑の片隅にある、ニラの花。

白の丸い塊の分量が丁度よくて、生け花に重宝しています。

花屋さんには、たぶん売っていないだろう花材ですね。

三年前に、ホームセンターで
苗木を買い求めた “ きんかん ”

種無し “きんかん” の札が立っていたのですが
ど~も違う のです。
粒も大き目 しっかり種あり。
さて、さて これは何 ???

絞って焼酎割にして、ちょうどいい香りだそうです。

酷暑が続いています。
毎日のニュースでは、
最高気温を記録した地域からは、
38℃ 39℃を越え、 40℃に迫る hot なレポートが。

佐渡は、そこまでにはなっていないけれど‥
焼けつくような暑さ‥
うだるような暑さ‥が予報されています。

普段は使わない表現が、今日はピッタリです。

お盆の準備の、12日13日のセールの目玉は盆花。

先ずは、ご仏壇やお墓にお供えするための
お花を求め、行列が出来るのが今朝。

近くのスーパーの売り出しは、7:00 ~。

JA佐渡の“よらんか舎”に至っては、
6:00 からの朝市に、長い列ができたそうです。


普段なら、ミソハギやオミナエシの他に
家の畑で育てた色とりどりの花を添えて
お供えしているのだけれど‥

「猛暑で、花が枯れてしまってね」
友人も、早朝の盆花買い出しの列の中に。

水不足のために、花は小ぶりで、
ツボミの状態のものも多いそうです。

沖縄・九州に大雨の被害を発生させながら、ノロノロ迷走した台風 6 号。

お盆には、次の台風 7 号も北上中です。


ご先祖さまを、お迎えする掃除を済ませ
お盆の準備が整いました。

お墓参りの後には、親戚や姉兄と
ゆっくり話しをしましょう。

4月1日は、佐渡の柿餅本舗の創業日。

14年目がスタートしました。

コブシと、青空。
ここ数日、暖かい日和が続いています。

ツバメは、南の国から帰って来たところ。
遠い国からの、渡りを終え
これからの佐渡暮らしを謳歌するかのように
大空を、風を切って飛び廻っています。

・・・お帰りなさい!(^^)! 

落ち着いたら、直ぐに子育てが始まりますね。

今年は、佐渡の各地で
春祭りが再開されることになったようです。

夜になると、遠くから
春祭りに向けての、鬼太鼓の稽古の音が
聞こえてくる季節になりました。

今日は、花見日和。
なので、
天気に誘われてドライブ。
気の向くままに、花見に出かけてきました。
畑野・熊野神社にて。

同じ境内には
佐度市指定の文化財《何代の梅》が
古い枝に、咲いていました。

満開の🌸🌸桜のドームの、下から仰ぐと
花びらが軽やか、華やいだ空気です。
たっぷり 花の雲のよう。

新穂ダムから。
金北山を望めば、蕾の枝が揺れていました。


買い物で、JAの売店に寄ったおりには
もう直ぐの、入学に備えて
背中いっぱいの、大きなランドセルを背負った女の子。

ママと一緒に、登校の道筋を確かめているのか
新一年生らしい姿が見えました。

張り切っているように見えますし
心細そそうにも見えました。

・・・桜の花が
校庭で待っていますよ。


私たち、佐渡の柿餅本舗も
新しい出会いを求めて
14 年目のスタート台に立ちます。

今朝は、
ホ~ホケキョの鳴き声が聞こえてきました( ^^)

先日は、高校の卒業式も行われたそうです。

佐度の若者たちも、次へのステップを踏み出す時になりました。

すっきりとした青空と空気が、
心も背筋も、伸び伸びと開放してくれる感じです。

雪が白く輝き、
青空に美しい春の山なみ。

寒さの緊張が少し解けて
春の兆しを感じる頃は、佐渡の好きな季節のひとつ。

1,000mを越える山を持つ離島は、
利尻島(1,721m)と屋久島(1,935m)と佐渡(1,172m)だけだそうです。

山の雪が伏流水となって、
佐度の平野を潤し、豊かな田んぼの風景を作ります。

☆。。。。。☆。。。。。☆。。。。。☆

3月3日からは
相川・ひなまつりが
開かれていますので、訪ねてみました。

月遅れで、お雛さまを飾る風習の佐渡です。

ホテル 万長さんにて
3年ぶりの開催となった
佐渡國 相川ひなまつり。
ひなまつりの再開は、やはり嬉しい。

やわらかい桃の色に、和みます。  

めでたいを集めて、つるし雛。

雅な姿  百人一首
佐度の小木箪笥 

赤みが強く、重量感のある欅材の美しい木目に漆塗りが施されています。

箪笥の前板に厚みのある金具が使われて、
繊細さと強固さが特徴です。

船の手提げ金庫としての「懸硯」は、
船での海難事故にあった際には
海に浮かぶことが知られています。


実用性を重視した箪笥と、
これ程にないと思われるほどの
豪華に飾りたてられた、美しい民藝箪笥があります。

重厚な船箪笥 大皿

大皿のいわくについては、
説明ができないのですが‥

北前船での交易が盛んな頃
佐度は、ちょうどよい中継地の位置にあり、

大阪・江戸・蝦夷までの、
農作物や文化が行き交った時代がありましたので、
きっと、ストーリーがある逸品なのでしょう。

船箪笥の飾り金具
手の込んだ細工とデザイン。

依頼主が、楽しんでいるのが伝わってきます。

伊藤家の大きな、享保雛さま。
二~人 並んで~ 🎎
素朴な民芸 締め張り馬


畑には季節の花、菜の花が
次々と咲いてきました。

花が少ない季節ですので、
我が家が、お雛様へ飾るのはこの菜の花。

沈丁花の香りも、ただよってきました。
一番最初に咲き出す、水仙。
畑の周りに、植えられた水仙たち。

藪椿の赤と緑も、春の色。
ふきのとう
ふき味噌にして、早速いただきました。

庶民は、まず見て
そして、味わう(^O^)
畑の福寿草
つやつやの花びら。
鉢植えにして、テーブルの上に。
家の中に、春を取り込んで楽しんでいます。
大佐渡の山の雪も、畑のフチの水仙も
まぶしさを増してきました。

光や温もりも、
待ち焦がれた、春そのものです。

いくつもの
小さな春を見つけた一日でした。


コロナ禍 “第7波” の、行動制限が解かれたので‥、
お盆に帰省した、叔母たちに会いました。
(叔母たちは、80歳を超えています)

3年ぶりです。

何時かは、その日が来るとは思っておりましたが、
1月の末に、母を亡くしました。

最期を看取とり、新盆を迎えたところです。

家庭の要として、
静かに、確かに、生きた母でした。

亡くなる前の数年は、認知症となり、
家族との会話も、成り立たなくなりましたので
少し淋しくもありました。

ですが、ありがたいことに
お薬を必要とする病気もなく
痛い、痒いもなく、穏やかに過ごす毎日でした。


母を亡くしたばかりの時には
すぐには感じなかった寂しさが‥

次第に、静かな深い喪失感となって
胸の奥に、積もってきました。

☆。。。。。☆。。。。。☆

母の新盆に、お供えしようと
求めてきたのは《すだれ団子》


その昔、お盆になると
お墓参りに来てくれる親戚のために
母がいつも作っていたのが
軽いおやつの《すだれ団子》でした。


お盆は
お墓参りに行けば、親族の誰かに会える日。

親戚たちは、
頃合いを見て、集まり
ゆっくり、おしゃべりを楽しみにしていましたし、

母は、その時間を大切にしていただきたいと
お待ちしていたようにも思います。


甘いのはチョットと‥言う方にの為には、
冷たい《ところてん》を。

さっぱりとした甘さの《西瓜》も、
暑い中、お墓参りに来てくれたお客さまへの
せめてもの、心づくしでした。

ご仏前には、
果物、夕顔 、 かぼちゃの煮つけ、 茄子の漬物など、
畑で育てた野菜での、素朴な手作りの精進料理を。

ご先祖さまには、彼岸から帰って、
いつもの家の味を楽しんでほしい‥の思い。

ささやかではありますが、
心を込めてのお膳をお供えしたものでした。

今では、
母が元気な頃のようなことは、できくなりましたけれど‥。



新盆の為に、盆提灯を点けて
母をお迎えしました。

コロナ禍のために、
病院へのお見舞いや、葬儀の仕方など
全てが変わってしまったことを、実感しました。

葬儀所への出棺の折には、
ご近所の方々が、門送りに来て下さり、

その後は、
家族と縁の深い身内だけでの、見送りとなりました。


昭和2年に生まれ、93歳の生涯でした。

昭和の大戦を挟んで、世の中を覆う閉塞感のコロナの時代まで、
大家族の、“嫁さん”・“母さん”・“やさしい婆さん”として生きました。
地域の中の役割や、たくさんの親戚との付き合いなども、
丁寧にしてきた母でした。

自分には厳しく、誰に対しても公平で、
誠実な生き方を貫いた母だったと思います。


私たちは、子育ての時代を終え、
定年後に故郷に戻り
父を見送り‥、母を見送り‥。

両親との時間を、近くで持つことができました。

「お母さん、ありがとうございました」
感謝を伝えることができましたし、安堵も覚えています。

新盆を過ごし、
やっと気持ちに、区切りがついてきたところです。

母の笑顔ばかりが、思い出されます。

佐渡の柿餅本舗

2009年秋、佐渡へ移住。
「佐渡の特産を使い、昔から食されてきた柿餅を、佐渡のお菓子として多くの人に知ってもらいたい」という想いから、商品化に乗り出しました。

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