佐渡の文化

貴族・武家・町人の文化が織り交ざって発展した佐渡の文化

佐渡は日本各地の文化が融合し、独自の変化を遂げてきました。
特に流刑された人々による京の貴族文化、江戸時代から明治時代初期にかけ北前船がもたらした町人文化など、関西や西日本、北陸地方から強い影響を受けたと言われています。

江戸時代に入ると天領地管轄の奉行による武家の文化に加え、鉱山職人や労働者、商人など 日本全国から人々が移住し故郷の風習を継承していきました。
18世紀の佐渡は最大で20万人(金山のある相川地区だけで10万人)住んでいたという説もあり、江戸でさえ人口が100万人であったことを考えれば、当時の経済活動や交流規模の大きさがわかります。

そして離島であるがゆえに文化は島に留まり、互いに影響を与え合いながら育まれ現代へとつながっています。

地の恵みを利用した工芸の数々

佐渡は昔から様々な工芸が盛んな島でした。
雪に覆われる冬の間、家でできる仕事として竹細工、藁細工、織物などが行われていたようです。
上質な竹が数多く産出された佐渡。島外からのニーズも高く、竹で財を成した集落もあるとのこと。
現代では竹職人の数も少なくなりましたが、機能美を追求した竹籠やザルは芸術品としても注目され、また花器やブローチなどは手軽なお土産として人気があります。

藁細工は400年以上前から続く羽茂地区絞張集落の絞張馬(しめばりうま)と呼ばれる馬の形をした藁細工づくりが有名。
毎年お正月に作られ、集落の3つの入り口にお守りとして吊るしていますが、ミニサイズのものを購入することもできます。
古着を裂いて織りなおす「裂き織(さきおり)」は、先人の物を大切にする知恵を学ぶことのできる工芸です。
江戸時代、繊維が貴重だった東北地方を中心に行われてきており、丁寧に織り込まれた裂き織は近年再注目されています。

焼き物は相川地区を中心に発展した無名異(むみょうい)焼きが広く知られています。
佐渡金山から出土した酸化鉄を含んだ赤土を用い高温で焼成。
器は収縮して硬く焼き固まるため、たたくと金属音のような音がします。
釉薬を使わない素焼きの状態でも味のある風合いです。また使えば使うほどに光沢が増し、愛着のわいてくる陶器です。

佐渡に残る工芸品は生活に根付いた手仕事のものばかりです。素朴な中に息づく「いい仕事」を感じてみてください。

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